極私的TWIGY論

前回のTWIGYの新譜レビューを機に、さいきんもっぱら彼の過去音源(といってもペイジャーや雷ではなくソロ名義の方)にハマっている。で、今回は彼の魅力について、久々にウンチクを垂れてみたい。

TWIGYのアルバムを1stから5thまで聴きかえすと、度重なるスタイルの変遷に驚かされる。それは音楽性はもとより、世界観まで含めてのことだ。そしてそのいずれもがそのときどきのシーンとは別次元のところにある。意外と保守的な日本語ラップ界でこんなアーティストは他にいない。ファッションなども含めたアバンギャルドな姿勢が、彼の表現をラップという枠におさまらない(しかし根はヒップホップな)エンターテイメントたらしめているのは疑いようのないところだ。

しかし純粋に日本語ラップとして評価すると、彼の作品の大半は素直にカッコイイと言えるものではない。振り返っても、アラー信仰をテーマにした難解な1st、名盤と称されるも普遍的なサウンドからは程遠い2nd、あまりに実験的な3rd、もはやラップリスナー度外視の4th・・・等々、おしなべて万人には薦めがたいアルバムばかりである。

それでもなぜ彼がヘッズや同業者からリスペクトされ続けるのか?それはやはり不変の天才的スキルに依るところが大きいだろう。鼻にかかった高音で歯切れよくラップするスタイルは今でこそ珍しくないが、10年以上前のペイジャー時代から彼のソレはおそろしく完成していたし、まぎれもなくオリジナルであった。あのDABOが「TWIGYに憧れてラップを始めた」というのもむべなるかなという話だ。

世界観の核となるリリックについても触れておきたい。彼の書く詞は一般的なラップのように直接的なメッセージが込められたものとは様相を異にする。端的に言って抽象的、テキストを追うだけでは意味不明なことば選び。しかしそのとりとめのない単語のつぎはぎが音に乗り初めて聴き手にイメージを喚起させるという独特なものだ。これも才能というかセンスのなせる技だろう。

ふだんはどちらかというと今風のアガれるパーティチューンやDQN全開(苦笑)なヤンキーラップを好む筆者であるが、年に何度かこうしたTWIGYワールドにはまるときがある。ふだんはむしろ馴染めないにも関わらず、だ。同じことがブルーハーブ(というかBOSS THE MC)についても当てはまるのだが、まあそれだけ唯一無二の存在ということなのだろう。そして、こうした屈折した楽しみ方をさせてくれるところもまたヒップホップ的でステキだと思うわけである。じつに活動20年という彼だが、まだまだヘッズの知らない世界をヘッズに見せてくれるに違いない。