ねむたーことやっとんな

宮台:日本でラップといえば、パーティーラップ、つまり、希薄な日常を肯定的に歌うものが主流だよね。ケーダブさんはそれに乗らず、自分たちはこう生きるべきだと「べき論」を歌詞で全面的展開する。ご自身にとってヒップホップ文化とはそもそもなんだったのかな?

K DUB:交換留学でアメリカ・フロリダの高校に入ったんです。そこではいまだに白人が黒人を差別している現実があった。白人が黒人をあからさまに馬鹿にし、黒人は何も言い返せないで固まってから学校に帰る。僕はもともとラップが好きで、彼らとも話もあうから、一緒にラップしてた。そのうち、黒人が奴隷として連れてこられ、解放後も2級市民扱いを受けていたこと、マルコムXの生涯などを知り、抑圧への抵抗として黒人のヒップホップ文化が生まれてきたことを体感した。黒人は黒人のためにラップをやっている。だったらおれは日本人のためにラップをやるべきだと思ったんです。

宮台:ラップは逆境を契機にしてルーツ意識を確認し、横につながるツールでもある。人種や階級の問題を通して、共同身体性、つまり「われわれ意識」を確認していく。でも今の日本にそういう音楽の聴き方は無いよね。

K DUB:日本人が日本人のためにやるラップだから、すぐに受け入れられると思っていましね。反体制、カウンターカルチャーをやる事がかっこいいと感じてもいた。

宮台:分かるよ。アメリカだとカウンターをあてるべきメジャーな人種や階級が明確にあり、抑圧される側は「おれたちはコケにされている」という疎外感で連帯出来るけど、日本じゃむりだね。そのアメリカでさえ今や硬派なラップは下火。特に9.11テロやイラク戦争で、「俺は国外にいる」「黒人だって同じアメリカ人」となり、白人対黒人の対立図式がぼけちゃった。

K DUB:表面的な差別が見えにくくなったことはありますね。実際の社会での構造はいまだに抑圧下の影響にいると思うんだけど。

宮台:「こいつが敵だ、諸悪の根源だ」との共通了解が今や黒人同士の間で成り立たない。「疎外されるわれわれ」という共同身体性が消えるとヒップホップにとってはきついよね。

K DUB:敵といえば、たとえば今、日本で仮想敵国になりうるのは北朝鮮ですよね。でも、それを敵視してどうすんだと思う。僕の場合むしろ批判は内側に行く。日本人を大事にしない日本政府を敵としたり、あるいは自分を甘やかす自分を敵としたり。

宮台:確かに単純な図式に押し込みがちだね。「断固戦う」か「言いなりになるしかない」しかみたいな。でも重要なのは「取引」でしょ。国際関係でも人間関係でも同じ。単に従うのもダメ。勇ましく噴き上がるのもダメ。将棋指しみたいに先まで読んだタフな交渉で相手を操縦する。それしかない。さもないと大損する。日本は第2次大戦でも「交渉の席を蹴って」幾度も失敗してきた。勇ましい奴は格好よく見えて、実際は宙づりに耐えられないへたれなの。交渉には宙づりに耐えるタフネスが不可欠なんだよ。
(以下割愛)


ネタとしてはちょっと古いが、4/14付の一部の朝日新聞夕刊の芸能欄に掲載された宮台真司氏とK DUB SHINEの対談「日本のラップと社会」。ツッコミどころ満載(特に宮台氏の発言)なうえ、ふたりの会話がほとんど噛みあってないのにはワロタ。キリがないので逐一ここでツッコミ入れたりはしないが、意味と強度を説く人間が所謂「ヴァイブス」というものをわかってないのはどういうことかと。しかも途中から話題は「日本のラップ」とまったくカンケーなくなってむりやり宮台氏の自論に落とし込んでいるだけやし。。いやはや音楽に限らずこういう感覚的な要素のでかい物事を頭だけで語るとかくも寒くなるものかと実感。ってそりゃ俺のこの日記のことか!